ハッシュタグつけすぎのバケモノだらけ

暑くもない日々の中、外にでて沢山音楽を聴く日々に恵まれた。

約束をして友人とご飯を食べにいく間の電車。ちょっと四国まで出張した時の新幹線。ばあちゃんの墓参り行く間の車のラジオ。

シャッフルするたび耳元で岡村ちゃんが滑るバッシュ!って言ってた。いつきいても果実感。濃縮されたままの還元されていない事もあるんだなと思った。

 

何かへ向かっていくさなかはいつも楽しい。さなかにいるって気づかないようにしたりもするし、気づいてなんか尊さを出したりもする。あんま好きでないからこそ、無駄に日々に感謝して距離感もってみたり。

見えないものに対しての接し方を7個ぐらいしてみるの、いつからかの癖だけど

色んなことを気づいたり、気が付けたりする。

そういう感じで、毎日にロマンあるなーと結構思う。

道端のゲロを避けるステップの時の体使いを応用することで舞踏的な動き出来るって昨日思ってやってみたり。よっしゃ!麿赤児!とか。転じて大森南朋!とかさ。ハゲタカ!!

別に毎日丁寧に生きなくても、少しの心の使い方で楽しい。

 

年をとるにつれて、段々人と会っても、仕事の話とか、家庭の話とかばっかになってきていて、日常に塗りつぶされるなよ朋友達。

ただ辛いとか、逃げたいとか、家庭を持つうえでの責任とか目に見えないのものに押しつぶされるほど、悲しいことはないでござる。

そういう時ほどちょっと具体的にどう逃げようかなーとか。辛いと辛いはホントに字、一緒だなとか、考えた方が自分ちょっとだけ軽くできる感じ。

現状を連呼する言葉の力がその人をそこに縛り付ける呪詛になっている事が多い。

重いのに重しを自分で乗っけてどうすんよって。

私がいうことは逃げでしかないとか言われたりすることも多々あるけど、別に良くて、選択肢としての逃げもあるってことを頭の片隅に置くだけで楽ちん楽ゾウ。自分がどれを選ぶかだけだから、うんこのような日常なんて軽やかに越えていきたいものだ。

 

私と話してくれている、その人が向きあおうとしてる事の背中を押すか引くかよりは、やっぱこっちもあるし、あっちもあるよ!って言いたいなと思った夏でございました。

 

気付けば、やりきれない事関羽とやりきれない張飛の武闘派に囲まれてマジやべえ!ってなること沢山あるけど、わたしは変わらずうんこちんこの話をしていますよ。

踏ん張り効いているから、リポD飲んで、あしたも生きようかなと思っています!