都会と田舎の対比として、星が使われる事が多い。
ああ、東京では星が見えないんだ。帰り道、気づいた。ああ、私は一人だ。
みたいな感じで。
私は真っ向からその問題に反論を唱えたいと思いつづけている。
おい、ホントに星は見えないのかおい、みようとする本気度が足らないんではないのかおい!ってなってしまう。
都合のいい時だけ星つかうなよ!!あとうさぎはさびしいと死ぬもなんか使うなよ!!
てずっと言ってる。
なので、そんな感じの女の子からは大体嫌われたり、見ないふりをされたりします。ロマンがない、情緒がない、夢がない。私はつらいのに。
きっと、私のような事をいう人はその人の世界の中にはいらないのであろうし、きっとうさぎがめっちゃ草を食ってめっちゃうんこする事こととか言ったら、もっと嫌われる。いや、言っちゃうんだけど。結局。
実際、東京に住んでる時も、停電した時は星がきれいに見えた思い出がある。あれはいつだったか。街一帯が30分ぐらい停電した時。
見えないんでは無くて、ただちょっとだけ街が明るいだけなんだ。いいじゃん、帰り道おっかなくないんだからさー。終電遅いし。遅くまで店やってるし。
見えない事はあるかもだけど、そこにあるんだからいいじゃんて私は思う。
自分が空を見上げたくて、見上げた時に上手い事見えないと、その人にとっての星は存在しないものになってしまうのだろう。そんなに自分の自由にならんだろ、何事も。
さて、日曜に岡山で見た星は綺麗とかいう次元ではなくて、何か圧倒された。実家の冬の星も見えすぎて、綺麗なんだかなんだかわからない感じだけど、それ以上に。
そりゃ好きに昔の人、星座とか決めるわなってくらい。
こういう圧倒的な現実は体験すると、余計な考えも、言葉も奪ってくれる感じがしてとても好きだ。有無を言わせてくれない!そこにあるもんなー。
やっぱり見てみないと、やってみないと、行ってみないとわかんない事がある。体験原理主義ではないけど。
人の想像の範疇を超える事なんてそこらじゅうにあるって言う事をわすれないようにしたい。
すんげぇ事は沢山ある。
何が来ても、なんぼでもどうにか踏ん張ってジャーマンしてやるから、沢山あるといいな。
今後も。調子よくてこういう事思っていると、やべえ事沢山起こる気するから、悪いことは、ちょっと少なめ希望です!!!!良い事は、結構多めにしてください。
帰り道の車内の会話も、とても良かった。生きる事の軸の強さを感じた。
なぜ、ドリカムの歌を歌ったらマスカラまつげの合唱になるのか、大塚愛だったらストロベリージャムになるのか。
そういうわけのわからなさがあるからいい感じになるなー!日々。
大停電のceroは、もうずるい!!と思っちゃったので、MVPはやっぱり人のチャリンコぶん投げた瀧おじさんにします!!